幕末江戸風景画コレクション 第2代駐日米国公使ロバート・ヒューソン・プライン旧蔵
このコレクションは1862 年 5 月より1865 年 4 月まで、タウンゼント・ハリスの後任者として江戸に赴任した第2代駐日米国公使ロバート・ヒューソン・プライン(Robert Hewson Pruyn 1815-82) 旧蔵の幕末の江戸風景画90点のコレクションです。
プラインはリンカーン大統領の信任状を携えて1862年5月17日(文久2年4月19日)に将軍徳川家茂に謁見、駐日公使として赴任しました。当初は前任者のハリスに習い、欧州諸国とは異なる独自の外交を行いました。しかし生麦事件後に英仏が武力を背景に幕府と交渉を行い、成功を収めたのを目の当たりにして、徐々に英仏との協調路線に転換しました。プラインの最大の功績は下関戦争の戦後処理を成功に導いたことでした。下関海峡で米国商船が砲撃されたことを知ると、日本に派遣されていた自国の軍用帆船ワイオミングに報復攻撃を命じました。これは日本に対する西欧諸国の最初の攻撃で、これによって米国は後の幕府との交渉を有利に導きました。
このコレクションには江戸の大名屋敷、欧米の公使館などを描いた泥絵45点と絹本45点の風景画で構成されています。 絹本には善福寺、東禅寺、長応寺、済海寺などにあった米国、英国、オランダ、フランスの公使館や攘夷派によって暗殺されたハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンが埋葬された光林寺が含まれています。これらの絵画はプラインが江戸の絵師に依頼して描かせたもので、絵画の質の高さに加え、対象の選び方も興味深いコレクションです。ほぼすべての絵画にはキャプションが付けられています。泥絵には英語と日本語が併記され、絹本には英語が表記されています。これらのキャプションはプラインの子息(Robert Clarence Pruyn)やアメリカ公使館の通訳であった益田孝(三井物産の創立者)などが協力したと考えられています。泥絵と絹本の作品番号1番より22番まではそれぞれの題材が重複していますが、これらはまず泥絵で描き、絹本で再び描写を行ったものと考えられます。泥絵のサイズは33.5 x 24.5cm、絹本のサイズは32 x 22.5㎝です。精細画像は別添ディスクを拡大してご覧下さい。このコレクションは プライン家で約160年間保管されていたもので保存状態は良好です。ご関心をお持ちになられましたら実物をご覧いただくことも可能です。ご希望の際はお申し付け下さい。