幕末明治日記 ジョン・ケント・チャンドラ 重要な資料
驚くべき発見であり。日記には、76の原稿ページ、17ページの経費勘定、購入した商品、および旅費勘定、および空白が含まれています。 104歳まで生きたジョン・ケント・チャンドラ(1831-1936)は、著名なニューハンプシャー家の出身であり、弟のウィリアム・イートン・チャンドラー(1835-1917)は、ニューハンプシャーの上院議員であり、海軍長官でした。日記は署名されていませんが、内部の手がかりはその作者を示しています。最初のエントリで、チャンドラは自分のイニシャルが「JKC」である4人の乗客の1人として自分自身を識別します。 (チャンドラーは日記の中で何度か自分のイニシャルで自分自身を参照しています)。日記には、戊辰戦争または日本革命として知られる1868年の「日本戦争」の記録を含む、北京、香港、広州、上海、日本へのいくつかの航海での中国訪問の記録が含まれています。マニラへの数回の航海と滞在。バタビア、オランダ領東インド、そしてヴァンディーメン海峡、シンガポール、セイロン、そしてインド。また、経費、磁器、青銅、金属製品、日本の象牙や骨董品などの購入品の説明も含まれています。「南インド鉄道」、「コロマンデル海岸」、「セイロンでコーヒーを育てる」、「 天津市 から北京へ。」チャンドラは、通過する都市や村、貿易、社会的慣習、日本の茶室、銭湯、戊辰戦争の激変、英国の商人の殺害に対する報復などについて、各国のコメントを述べています。写真(日記には含まれていません)チャンドラ(右に立っている)と、ガス・ファーリー、ジョン・フレイザー、ミルトン、グリンネルなどの日記に記載されているもののいくつかを示しています。すべてがオーガスチン・ハード商会と何らかの関係を持っていたようです。
18.3 x 12.5糎。
良好です。 背表紙に「Cash Book」が書いてあり。鉛筆とインクで書かれており、明確で読みやすいです。 金属製の留め金が壊れていて、鍵がありません(おそらく留め金が壊れている理由?)。