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フェリーチェ・ベアトの写真帖 61枚

カール・ユリアス・テキストール氏からグスタフ・キンダー氏に贈られたユニークで重要なアルバム

フェリーチェ・ベアトの写真帖 61枚 カール・ユリアス・テキストール氏からグスタフ・キンダー氏に贈られたユニークで重要なアルバム
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フェリーチェ・ベアトの写真帖 61枚 カール・ユリアス・テキストール氏からグスタフ・キンダー氏に贈られたユニークで重要なアルバム

フェリーチェ・ベアト(1832-1909)による61枚の写真を含むユニークなアルバムです。 30枚はさまざまな人物写真で、31枚はベアトの親友であるチャールズ・ワーグマン(1832-1891)が描いた水彩画のシーンの写真です。最初のページに「Gustav Kinder und Frau als Geschenk von Herrn Textor 1866」という手書きのメッセージがあります。テキストール氏からの贈り物としてグスタフ・キンダーと妻に]。アルバムには、横浜に住む48人の西洋人の素晴らしい合成写真と、1865年に撮影されたことが知られている長崎の鼠島でのピクニックでの西洋人の重要な写真が含まれています。オランダ軍艦メデューサのキャプテン・フランソワ・ド・カセンブルート(1817-1895)を含む。ベアトは1866年11月に横浜を大破した大火事で写真作品の大部分を失ったが、このアルバムが火事の後、1866年の終わりの前にまとめられた可能性は低いと思われる。 テキストール(1816-c1869)は、シーボルト(1796-1866)と共に、植物と種子をオランダに送り返すために日本に派遣されました。 テキストール氏は、ディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルック(1833-1916)と共に、1858年に出島に商社「テキストール商会」を設立しました。このアルバムの受取人であるキンダー氏は、ドイツのドレスデン生まれのビジネスマンであり、後にデンマークおよびオランダ東インドの他の国の領事。興味深いことに、写真家のライムンド・フォン・スティルフリードは、1864年頃にテキストール商会で働き、1869年に横浜に移りました。

 

写真は17 x 13糎から23 x 19糎。アルバムは32 x 35糎。

 

写真は端に少褪せている。経年の傷み、しみ、汚れ少々あり。背表紙が欠けている。

 

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フェリーチェ・ベアトの写真帖 61枚
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